信じる。

信用する。

騙される。

人を信じるとき、相手がもちろんいるわけだけど、自分が信じる尺度や分別・区別・加減や・知性で人を感じて、測って信じることのほうが多い。だから、自分が信じた人なわけで、相手から信じさせてもらったという受け身的なものって何気にないのかも。自分を信じるかのよう。相手を信じている。相手は相手のままにいるというか。そういてくれる人のほうが好きだし。その素敵な相手を自分が信じる。私を信じてよ。とか言われても。そこに信じるべきものが欠けているのに。信じることはできないというか。あなたのすべてを許すよ。っていうのも。あなたに合わせるよっていうのも。あなたの不在を意味してしまうわけで、どうしても魅力に欠けてしまう行為。歩み寄ることは大事なことだけれど。そんなことしなくていいから。あなたがあなたで楽しく笑顔でいてほしいと思ってしまう。どんな場所にいっても。

もちろん、自分が信じているもの以上の何かを捧げられるときってあるのだろうけど。

そういうときは、あなたには敵いません。みたいな。

そう考えると、騙されるってまずないわけで。あら。自分が見間違いた。みたいなことで責任はもちろん自分で、傷つくっていうのもないわけで。騙されたっていう経験はないはずなんだよね。勝手な自分自身への騙されるものに対する知性や価値観の信頼がないのに。育てることもしなくて、相手に期待して、騙されたって相手を非難するって。よっぽど図々しい行為で実はあるのではと思う。傷がないのに傷にして、泣いている意味が正直わからない人でもある。それなら一層私は騙されたっていいわっていうタイプのほうがさっぱりしていて覚悟もあって好感がもてる。

正直本当に、こういう人がどう親になって、何を教えるのかと。流行的な少し前の時代にあった教科書通りに教えるのかと。